- 2011-10-14 (金)
- 音楽&楽器
大学生の頃は、純粋にギタープレイヤーを目指して頑張ってました。
それがいまではどちらかというと音楽制作よりの仕事が多くなってます。
どういう経緯でそうなっていったのかを振り返ってみました。
<所属事務所のディレクターの一言>
学生時代からお世話になってたZAINのディレクターにこう言われました。
「これからの時代、家で音楽制作ができないと仕事なくなるよ」
すでに当時からもう自宅である程度形にしてくるアレンジャーが増えてきてたのでしょうね。
その一言を鵜呑みにして、とりあえず必要だと言われたものを買いそろえました。
パソコン、DTMソフト、音源、サンプラーなどなど
これで、初めてパソコンでの音楽制作に向き合うことになるのでした。
僕が23歳頃のお話。
<着メロの仕事の依頼>
25歳くらいの頃だったかな、着メロの仕事の依頼が舞い込んできました。
もともと、耳コピーするのは得意というか性分にあった作業だったので二つ返事で引き受けました。そしたら、えらいことにどんどん仕事が増えていきました。
途中からは一人では手に負えない分量になってきたので、外注に出すようになりました。
この時まだ打ち込みはそれほど熟練してはおらず、仕事しながら鍛えられた感じです。
なので僕の打ち込みの技術は仕事から学んだものがほとんどです。
のちのち、着メロから通信カラオケや販売用midiデータなどの制作もやりました。
<自分のユニットの音源制作>
昔、自分がプロデュースするユニットをやっていました。
ドリカムみたいな感じです。
もちろんデビュー目指して頑張ってましたが、現実はなかなか(^^;)
でも、そのユニットの音源を作るのにひたすらこだわって何度も作り直したものです。
そうやって宅録のスキルも覚えていきました。
と、いった感じでその3つが大きな要因だったと思います。
特に着メロの仕事がなければ、ここまでパソコンを使って音楽制作しなかったかもしれません
いまや音楽制作なんでも屋みたいな感じになっちゃってますが後悔はしていません。
これからも人々の心に語りかけられるような音楽を作っていきたいと思います。
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