- 2015-05-24 (日)
- 日記
無事に母の満中陰の法要は終わりました。
生まれ育った街、大阪の上新庄。
もう実家だった建物は、親のものではなくなったので、帰る家もなくなりました。
そして、僕の所有物はすべて撤去しました。
この街に遺っているのは、もう30年間の思い出だけです。
30年間、楽しいことも、死ぬほど辛いこともたくさん経験してきました。
そんな思い出と共に、グッドバイ上新庄!
大阪には今後仕事などで来ることはあるでしょうけど、この生まれ育った街にはおそらく帰ることはないでしょう。
さあ、前だけを向いて歩いて行こう。
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Comments:2
- はちえもん。 2015-05-28 (木) 22:56
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はち。は世田谷生まれだけれども、
ゼロ歳から小学校1年生の終わりまでカフジで育ちました。
クウェートの飛行場から最後に飛び立つ時、
『あぁ。きっと②度とここには来ることがない。』
と思い、おセンチな気持ちになったことを昨日のことのように思い出します。
祖母の回想では、日本からカフジに帰るのが嫌で、成田空港で泣き叫んでいたようですが。。
そしてそのとおり、②度と行くことはできないでしょう。上新庄。日本なのですから、きっと、また、機会がありますよ。
はち。もちょっと前に、高校生の頃まで過ごした広尾を歩きました。
なか②感動があるものですょ。 - kent 2015-05-29 (金) 23:26
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グローバルなお話ですね^^
たしかに、日本だし、いつでも帰れるしいつか機会はあるかもしれませんね。
生まれ育った街には、とても楽しい思い出も
死ぬほど辛かった思い出も混在しています。いつの日か、それもすべて含めて良い人生だったと思える時がくればまたあの街に戻ってみたいと思います^^