Home > >

私的かつ、湿っぽい話の連投ですみません。

これで最後にしようと思います。
今日は父とのお別れの日でしたので、自分の思い出の記録と整理のため、父の事を書き記して置こうと思います。

僕が子供の頃は、父との思い出はあまり楽しいものではありませんでした。
しゃべり下手の父とは家でも会話が噛みあわず、それでもなんとかして子供とコミュニケーションを取ろうと無理やり僕に話しかけてくるのが、それはそれはとても苦痛でした。

おそらく、相当邪険にしか応対してなかったと思います。

実家は定食屋を営んでおり、週1日の休みしかなかったのですが、その休みになると、僕をなんとか楽しませようと、無理やり動物園や阪神タイガースの観戦に連れて行ったりしたものでした。

僕はちっとも楽しくなく、ずっと無言でただ苦行をこなすかのように、ただ時間が過ぎるのを待っていたものです。

そんな子供時代だったもので、すっかり父とはコミュニケーションがないまま大人になってしまいました。

必然的に、お母さんっ子になってしまったので、常に母の味方だったので、定食屋を夫婦でやってる間はケンカが絶えず、いつもおかんにボロカス怒鳴られているオヤジを見て、情けなくもあり、母を苦しめる諸悪の根源として憎んだりもしました。

書き切れませんが、家の事情で兄弟と親が断絶するような出来事もあったりで、決して仲良し一家ではなかったので、僕は何度も、母に離婚を勧めていました。
どうして、こんなにできた女性がこんなダメ親父と一緒になったんだとずっと思っていました。
でも、父が臨終したとき、母が過呼吸になり自分の力で立てなくなるくらい嗚咽しているのを見て、「ああ、そういうことだったのか」と、39年生きていて初めて、母の父に対する愛を感じることができました。

父は母と結婚して、サラリーマンを辞め、それまで全く無縁だった飲食業をやる羽目になり、決して好きでやろうと思った仕事ではないのに40年以上も、病気してもケガをしても、休むことなく、日々働き続けたのです。週に1度の休みは子供のために使っていました。
自分の趣味に時間もお金もかけることなく、ただただ家族のために働いていたのです。

昔は、そんな父を軽蔑していました。
人生一度きりなのに、淡々と好きでもない仕事をこなすだけの人生なんて、ってね。

ですが、誰がなんといおうと、そんな父の働きによって僕は育てられてきたのです。
好きなことをやらせてもらい、買ってもらい、ひたすら甘えるだけの人生でした。
今となっては感謝の念しかありませんね。

話は変わりますが、最初に書いたように、父はしゃべり下手で、話題も乏しく、何度も同じ話をするような人でした。ですが誰にでも話しかけるような気さくな人でした。
街を歩いていると、全く見ず知らずの人に良く話しかけていました。
もちろん、そんな一面も子供心にとても恥ずかしく、やめてほしいなって思ってたんですよね。
知らんおっさんに話しかけられて嬉しい人なんて居ないって思ってましたからね。

晩年も、飼い犬の散歩中に近所の若い子ばかりが働くたこ焼き屋さんの前で、店員さんに声をかけたりしていたそうです。
僕は大阪に帰る度に「むこうは知らないおじいさんに声かけられて困ってるんだからやめてや、ほんまにもう!」って何度も注意していました。

でも、父はむこうも嬉しそうにニコニコしてるからいいんだよ、と言ってました。
店員さんたちには老人のたわごとに付き合わせて悪いなあと思っていたのですが、昨日のお通夜に、そのたこ焼き屋さんの店員さんたち(20代前半の若い男女)が涙を流しながら、父に会いに来たのです。

ああ、父は本当に店員さんたちに好かれていたんだ。。。ってわかって嬉しくって涙がでました。

僕の偏見で、若い人が通りすがりの老人に声をかけられて嬉しいはずがないって思ってたら、そんなことなかったんです。父にしてやられた感じですね。

父が通っていたフィットネスクラブの、とっくの昔に辞めた先生もたった1人で深夜に訪れてくれて、涙を流してくれました。

僕はてっきり、若い人がただのつきあいで父に愛想をふるまいてくれているのだと思っていましたが、父は本当に人気者だったようですね。(^^;)

軽蔑していた父を、死んでからやっと尊敬する事ができたなんて皮肉な話ですよね。

こんな感じで、父は街の老若男女の友達と、家族全員に看取られて旅立つ事ができました。
餅をつまらせた、数分は地獄の苦しみだったでしょうが、今となっては安らかに眠っていることでしょう。父は最高に幸せな最期だったと思います。

そういえば、父の遺影写真は僕が去年撮影した写真が採用されました。
去年、グランフロントが出来たばかりの頃、父と母を連れて行ったんです。
屋上庭園は快晴でした。そこで僕は夫婦揃って、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた二人の写真を撮ることができました。自分で言うのもなんですが、奇跡の一枚と思えるほど、幸せそうな二人がフレームの中に居ました。
おかげで、最高の父の笑顔を参列者の人達にお見せする事ができました。
これが、僕の最後の親孝行になっちゃったな。

ありがとう、お父さん

こんな父に恥じない人生を僕も送ろうと心に決めました。

乱文長文、失礼いたしました。

Home > >

Page Top