- 2015-06-13 (土)
- 日記
僕は性善説という言葉が好きです。
日本人だけが信じるといわれている人間性善説という考え方。
誇りに思いたいです。
でも、性善説で生きている人間が、そうでない人と直面したときに、その人を非難するべきではありませんね。
人間それぞれ、バックボーンが違うわけで、育ってきた環境も違う。
自分が善を貫けていればそれでいいのです。
と、なんか高尚なことを書いてみましたが、いろいろ調べてみるとどうやら一般的に「性善説」という言葉で示される意味は本来の意味ではないという事実がわかりました。
性善説・・・(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方
というのが一般的な解釈だと思うし、僕もそう思っていました。
ですが、辞書によると
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、 悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。
と書いてあるので、人は生まれつき善であるが、成長していくに従って悪を覚えていくというような意味だそうです。
だから、例えば
無人野菜直売所で、野菜を取ったら、料金をボックスにいれるようなシステムは「性善説」に基いているという使い方は間違いということなんですね。
まあ、だからといって性善説を誤用してる人をみて、ドヤ顔でこんな知識をひけらかすのはKYなのでやめておきます(笑)
なんといっても、僕もいままでずっと誤用してましたしね!
どうでもいいウンチクを挟みましたが、金の斧銀の斧の話しで、鉄の斧が自分のものだと正直に答えた木こりみたいな人を僕は愛します。
嘘とか小細工を弄して、利益を得たりする根性は好きじゃありません。